Dear マロン

おまえらがいるから

2016.05.13

ミニアルバム『夢を追うのが夢だった』

曲について 2

『おまえらがいるから』

 

せみしぐれの次に作った曲です。

 

高校に勤め始め、3年目。校舎のリフレッシュ工事という大変な仕事が入りました。床や壁、天井をきれいにするから、自分の担当する場所の荷物を全部運び出すようにとのこと。

「予算がないから引越し屋さんは頼めません。担当の場所は自分で全部カラにしてください。」と言われました。

 

美術室と美術準備室。ひとりで全部荷物を運び出す?!

しかも授業は普通にある状態で!

準備室には中身がいっぱいの大きな戸棚が4つくらい、仕事用の重たい机、電動ろくろひとつ、手動のろくろがいっぱい、額縁やパネルその他もろもろが山のようにありました。美術室にはでっかい石膏の胸像が10個くらい、生徒用の机椅子30以上。

 

これを、6月8日までにひとりで全部運び出せと。奇しくもその期限の日は私の誕生日でした。

 

ひとりでは絶対無理。天井につかえるような大きな戸棚をどうやって運べというのか。こんな不可能なことを言われるなら、仕事を辞めてしまいたいと思いました。でもそれじゃ生活できないし、生徒たちとも一緒にいられなくなる。無茶でもやるしかありません。

先生たちはみな同じ状態で、自分のことでいっぱいいっぱい。図書室や美術室のように、荷物の多い部屋担当の私たちに、頼れるのは生徒たちだけでした。

 

まだまだやんちゃの多い時代でしたが、生徒たちはよく手伝ってくれました。平日に手の空いている卒業生にまで応援を頼んで手伝いに来てもらいました。

古い木の戸棚は大きくて部屋から出せないので、(どうやって入れたんでしょう?)もう捨てることにして、のこぎりで切って分解して運び出しました。その中から出てきたものも、何に使うのかわからない古い道具ばかり。いつのものかわからない生徒の作品などもたくさん出てきました。

 

美術室は4F。エレベーターは隣の校舎にしかないので、台車で渡り廊下を渡り、エレベーターで下ろしたら、運び込む格技場はエレベーターとは逆側。しかも少し高い場所にあるので、荷物を台車から降ろし、10段以上の階段を持って上がらないといけません。

 

授業のあい間と放課後全部荷物運びに費やして、38歳の誕生日、なんとか全部の荷物を運び終えました。その日の夜は会合が入っていましたが、気分が悪くなって途中で抜けました。

 

そんな頃にできた曲です。

3年目で、それまでのいろんな出来事の中でつながりができていた。だから生徒たちがあれだけ手を貸してくれました。人のありがたさを感じることができたから、あのつらさも無駄じゃなかったと今は思います。

 


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