Dear マロン

小説・エッセイ

 

エンブレムホステル西新井 エンブレムホステル西新井

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   最後にもう一度、目的地の新橋駅の中で迷子になりましたが、レッスンには無事間に合いました。

 

   12月は仕事で1日休まなければならないので、今日はその分の振替も入れて、レッスンを3コマ受けさせてもらいました。

 

   歌、演技、アテレコと、バラエティーに富んだ1日。他のスタジオでは、今月も入所オーデションが行われていました、また新しい人たちが入ってきます。

 

   毎月新しい人が入り、気がつくとクラスの中で私が一番古い⁈  

 

  5月のレベルチェックオーディションの時から、上のクラスに上がれる点数が引き上げられ、1点足りなくて初心者クラスに残留になりました。

   いつまでも初心者のままではいけない~_~;   来月のレベルチェックオーディションでは、どうしても上のクラスに上がらなければ。

 

   こういう大事なオーディションにギターを持って出るのは無謀かもしれませんが、そのつもりで練習しているところです。

 

   その前に、今月21日の映画主題歌2次オーディション。まずはこちらを頑張ります。

 

   写真は昨夜泊まったエンブレムホステル西新井。ちょっと遠かったけど、感じのいいところでした。

 

 

 

   乗り換えがわからず、交番で訊く。

 

   しかし、また、これも最短ではない気がする^^;

 

 

    レッスン、ギリギリになるかも…

 

   このお神輿が見れたから、ま、いいか(^ ^)

   私は今年度、月曜日は授業が入っていないので、気づいていませんでした。

 

   今週は3連休なのですね。

   新幹線は満席。自由席はひどく混み合っているとアナウンスが流れています。

 

   土日月はお休みというより、ペットの肖像画を描く日。家事をしたり、ウチのワンコやニャンコと過ごす時間が長くとれるのは嬉しいですが、私のお休みはいつなのか、よくわからなくなっています。

 

   この月一の東京も、バタバタするだけでなく、リフレッシュする心の余裕を持って出かけたいです。

 

 

ルナの望み

2017.10.02

 

 

   ルナ16歳。人間の年齢では80歳くらいになるおばあちゃんです。

 

   子猫の頃のルナは、まるでギャグマンガのキャラクターのような子でした。

 

   ご近所の方からルナをいただいた頃、うちは母と娘と私の3人暮らし。まだ他のペットたちもいなくて、娘は小学校に入ったばかり、母も現役で仕事をしていました。

 

   今はフローリングにベッドですが、まだ全ての部屋がボロボロの畳で、ベッドも購入前。床に布団を敷いて、みんなが「さあ寝るぞ」という体制に入ると、いきなり部屋の端から端までをルナ、全力疾走!

   人の顔の上もおかまいなしに走るので、顔まで布団に潜らないと寝られませんでした。

 

   ある晩、なんか寝苦しいな、と目を覚ますと、私の掛け布団の胸の辺りで、ルナが何度も垂直跳びをしていました。 

   ある程度成長してからだったので、結構な重さでした。

 

   昼間寂しく1人で家にいて、夕方帰って来る私たちをひたすら待っていたのでしょう。それなのに、やっと帰ってきても、ほとんどルナをかまう暇もなく、バタバタして寝てしまいます。娘に手がかかる時期だったから、仕方がありませんでした。

   「遊んでくれよ!」

と、精一杯訴えていたのでしょう。

 

 

   うちに来て2、3年経った頃、いきなり布団や座布団、新聞紙の上など、変なところでオシッコをするようになりました。それまでちゃんとトイレでできていたのに、です。

   当分我慢しましたが、叱っても治らず、仕方がないのでケージに入れて飼うようになりました。

   サラとチャーもやってきて、それまで以上にルナと一緒に過ごす時間が少なくなりました。

 

   10日ほど前からの体調不良で、私と母が外出する時意外ケージから出て生活するようになったルナ。ずいぶん良くなったけれど、まだそのまま様子を見ています。

  毎日母や私の膝に入って、満足そうに過ごしています。本当は子供の頃から、ずっとそうしていたかったのでしょう。今までの分を取り戻すように甘えているようです。

 

   あとどのくらい一緒に過ごせるかわかりませんが、これからはできるだけルナの望むようにしてやりたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

   昨日は母も私も出かけなければなりませんでした。

   ついていてやれないなら、どこで発作が起こるかわからないのは怖いので、また、内側に毛布を張ったケージにルナを入れ、出かけようとしました。

 

   発作を起こすようになってから、家にいる間はずっとケージから出して様子を見ています。寝るときも、居間で一緒に仮眠。

   そんな生活に慣れたからか、1人になるのが不安なのか、ケージの中で私の動きを必死で追いかけ、ケージの隙間からこれ以上伸びないくらい手を出して抵抗しました。

 

   後ろ髪を引かれましたが、仕事を休むわけにはいきません。泣く泣く家を出ました。

 

   午後、少し休みをもらって急いで帰りました。幸い、昨日は発作を起こした形跡はありませんでした。

 

   ホッとしてケージから出しました。

   私の膝に入り、おとなしくしていましたが、しばらくすると急に立ち上がり、壁に向かって歩いて行きました。

   様子がおかしい。

   追いかけて顔を見ると、ヨダレがボトボト落ちていました。

   発作がくる合図です。

 

   私はルナに両手を添え、いつ痙攣が来ても支えられるよう準備をしました。最初の硬直。二本足で立ち上がったところで、少し強めに抱きしめました。

 

   いつもなら、ここから2,30秒、硬直した足がガクガク動き、身体が思わぬ方へ移動します。だけど、 この時は、 それ以上痙攣は起こりませんでした。

   しばらく抱きしめていると、次第に落ち着き、発作はおさまりました。

 

   あやしいと思ったら、早めに抱きしめてやればあまり苦しまなくてすむのかもしれません。今回たまたまだったのかもしれませんが。

 

 

   今日は母がいてくれたので、安心して仕事に出かけました。ほとんど一日中!母の膝にいたそうです。 今日はまだ一度も、発作は起きていません。薬を飲ませるようになって初めて、発作のない日が過ぎそうです。

 

 

 

 

 

 

 

   発作を起こしたあと、ルナが必ず向かうのはエサの器。

 

   食べると気持ち悪いのがおさまるのか(私がつわりの時そうだったので…)とにかく食べる。

 

   最近はやたら食い意地がはって、食べ物を支度している間が待てなかったり、手のひらに乗せてやると、手の平までかじったり。

   病院で体重を測ったら、普段より0.4kg太っていました。細い子だったので、見た目にもポッチャリしたのがわかります。

 

   性格も変わってきました。以前は他のニャンコが通りがかっただけで激しく威嚇していたのに、チャーやラッキーが近づいても知らんぷり。機嫌がよければチャーと鼻をくっつけて挨拶までします。

 

   おばあちゃんなので、病気をきっかけに、少し認知症が出てきたのかな?と思ったりします。

   食べ続けているのも、

「まだ朝ごはん食べてないもん。」

て感じなのかもしれません。

 

   今朝は、身体がだるかったのか、寝転んだままゴハンを食べていました。こんな姿は初めてです。

 

 

 

   もう長くないなら好きなようにさせてやるのもいいかと思いますが、まだ長く生きられるなら、太りすぎると別な病気を引き起こします。様子を見ながら調整しないと…

 

  木曜日から、居間でルナと寝ています。薬を飲んでも1日に1回は痙攣するので、震え始めた時、すぐに頭を打たないよう押さえてやれるように、できるだけ近くにいるようにしています。

 

   今日は私も母も出かけなければいけませんでした。

   高いところで痙攣して落ちてはいけないので、2段のケージを1段に組み替え、頭を打ったり、手足がケージの隙間から出て足が折れないように、ケージの内側を毛布で覆いました。トイレと寝床を置いたらエサと水が置けなかったので、小さいケージをつなぎ、そちらに置きました。

 

 

 

   

 

 

   仕事を早めに終え、急いで帰ってくると、水とエサがひっくり返っていました。また発作が起きたようです。

   エサと水を固定した場所だけは毛布が張れず、その一番痛い場所で、1人耐えたのだと思います。夜中までかかって張り巡らせた毛布は、ほとんど役に立ちませんでした。

 

   引きつけを起こすたび、ルナはどんどん弱っていきます。今はもう、15㎝くらいの段差を降りることも、1人では危険です。

 

   人間の家族なら、介護休暇というものもあるし、普通の有給休暇を取るにしても、「子供の具合が悪いので…」と言いやすい。けれど、苦しんでいるのが猫では、休む理由も大きい声では言いにくいです。

 

   長く飼っていた犬を看取るために、仕事を辞めた小学校の先生の話を、テレビで見たことがあります。

   わかる気がします。犬や猫だって、長く一緒にいた家族です。最後の時を、1人で迎えさせたくはありません。テレビのケースは、犬の老後が長かったから、年度がわりで仕事を辞められていました。うちの場合は急病なので、どう対処していいのかわからないうちに、眠れない日々が過ぎていっています。

 

   チャーも、セミントラを飲めなくなって元気がなくなってきています。どちらも、いつ何があっても不思議ではありません。

 

   こんな状態がいつまで続くかわかりませんが、今の自分にできる精一杯のことをするしかないと思っています。

   自分の体力とも相談しながら頑張ります。

 

   サラの時は、夜に備えて仮眠している間に1人で逝かせてしまいましたが、でもお互い最期までよく頑張った、と、後悔はありませんでした。

 

   猫も犬も、みんな見送るまで、私は絶対死ねません。

 

サラ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   サラが旅立ってから、3か月が経ちました。末期の腎臓病と診断されてから2年半、セミントラという薬を飲みながら元気に生きていました。

 

 

チャー

 

   サラと姉弟のチャーも、同じ病気にかかり、セミントラを飲んでいます。

   が、最近、チャーがセミントラを飲めなくなってきました。

 

   サラも亡くなる何か月か前から、セミントラ入りのエサが食べられなくなっていました。

   元々苦手だったのを、私が食べろと言うから、頑張って食べていたのです。身体が弱ってきてからは、食べた後、吐いたり、舌の付け根が痙攣したり、辛そうでした。

 

   なぜそんなに辛そうなのか、ほんの少し舐めてみて、納得しました。ピリッと舌に刺激があり、しばらく舌が痺れていました。

 

   チャーも先日、無理して少し食べて、すぐに吐いてしまいました。今日はいつもの半分くらいのセミントラをエサに混ぜたらなんとか食べられました。体調によって、食べれる日とそうでない日があるようです。

 

   苦しい思いをして長く生きてくれるより、幸せだと感じる時間を少しでも長く過ごさせてやりたい。普通のエサはまだしっかり食べられるので、無理に薬入りのエサを食べさせるのはやめようと思います。

 

   セミントラ入りのエサを食べられなくなった頃から、サラはどんどん衰弱していきました。病気の進行は少しでも遅らせたい。もしセミントラ以外で腎臓病に効くものがあればと、今、健康食品などを試してみています。

 

   2つ試しているうちの、1つは匂いがダメらしく、全く口をつけません。(ルナはしっかり食べます)

   1つはエサに振りかけると食べるので、そちらの効果を期待します。

 

   まだ12才。飼い猫の平均寿命は15才くらいに伸びているらしいので、もう少し一緒に過ごせたらうれしいです。

 

   子供の頃住んでいたアパートに、時々遊びに来る犬がいた。人懐こい犬で、アパートの人たちに可愛がられていた。

 

   誰かがいたずらしたらしく、目の上にくっきりと、油性マジックで眉毛が描いてあった。それがトレードマークで、アパートの子供たちは、その犬を「まひげワンちゃん」と呼んでいた。

 

   しばらくすると、まひげワンちゃんのトレードマークの眉毛が、だんだん薄くなってきた。まひげワンちゃんにまひげがないなんて、それはダメだ。
   私はもう一度ちゃんと眉毛を描いてやろうと、油性マジックを持ってまひげワンちゃんに近づいた。

   いつもは触られせくれる子だったけど、油性マジックを顔に近づけると嫌がって逃げてしまった。

 

   なんで?元に戻してあげようと思っただけなのに。

「犬はそんなことされたくないんだよ。」
母親に言われ、眉毛がないのが普通の状態なのだと気付いた。

 

   あの子とどのくらいの期間関わっていたか覚えていないけれど、それ以来、眉毛を描こうとしたことはない。

おカネさん

2017.08.30

   小学校3年生まで、福山市のアパートに住んでいた。

近くにおカネさんという腰の曲がった小柄なおばあさんが住んでいた。おカネさんが歩くときにはいつも、たくさんの犬がついて歩いていた。

 

   小学生の間に流れる噂によると、
「おカネさんはすごいお金持ちで、一人暮らし。あそこに見える山は全部おカネさんのものなんだって。家には数え切れないほどたくさんの犬がいて、野良犬にも毎日エサをやってるから、住み着いちゃうんだって。」
ということだった。

   家がどこなのか知らなかったし、噂が本当かどうかはわからない。おカネさんという名前さえ、「お金持ちだからおカネさん」くらいの感じで、誰かがつけたあだ名だったのかもしれない。

   私たち子供は、親から「あの人は変人だから近寄らないように」と言われていたように思う。

 

   ある日のこと。アパートの前の道路で1匹の犬が車にひかれた。運悪くタイヤが身体の上を通過したらしく、ほとんどの内臓を口から吐き出しているように見えた。

それでも犬は生きていた。苦しそうに、身体を上下に膨らませながら、息をしていた。
   こんな姿になっても、生きていられることが不思議だった。もう助かるはずはない。それでも必死に息をしていた。

 

   誰かと一緒にいたかどうかも覚えていない。けれど、その場で動けなくなったことを覚えている。

 

   すぐにおカネさんがやってきた。一緒に散歩している途中、少し離れてしまって起きた事故だったらしい。
おカネさんはその犬の足を引きずり、道路の端に連れて行った。つながったままの内臓も、ズルズルとついていった。
   そんな姿になった犬に、取り乱すでもなく、涙を流すでもなく、おカネさんは淡々とその作業を行った。

その後おカネさんがどうやってその子を葬ったのか、覚えてはいない。
   ただ、その子の一部も残さないよう、きれいにその場を片付けて行ったと思う。

子供の頃の記憶の中でも、映像として残る強烈なものである。

 

   その後引っ越したので、おカネさんがいつまで野良犬たちを面倒見ていたのかはわからない。あの当時、すでにかなりの高齢に見えたので、それほど長くは続けられなかったのではないだろうか。
それでも彼女は、自分の身体が動く限り、犬たちの最期を看取り続けたに違いない。生きているものはいずれ死ぬのだと悟り、淡々と生き物と暮らしていっただろう。

今の自分がもし当時の彼女に会えたなら、話をしてみたいな、と思う。

 

 

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