Dear マロン

サラが旅立っていきました

2017.05.31

ホームページの『肖像画について』のページに登場しているサラが、5月30日の夕方5時ごろ、静かに旅立っていきました。

 

2014年の11月に腎臓病の末期と診断されて、なんと2年半、薬(セミントラ)を飲みながらほぼ普通に生活していました。

 

最近食欲がなく、少し顔が変わってきたと思っていました。先週月曜の夜、普段入らないカラーボックスの棚に隠れるように入っていったので、死に場所を探しているのかと、翌日病院に連れて行きました。

 

検査の結果は、腎臓に関わる数値が測定できないほど高くなっていて、生きているのが不思議だと言われました。

入院させて5、6時間点滴するか、毎日短時間の点滴に通うか、と言われました。入院させるということはついていてやれないということ。少し長く生きるより、最後まで一緒に過ごしたいと、連れて帰りました。

 

翌日からの病院、どうしようかと思いましたが、普段家から出ない子だったので、病院に行くこともストレスになり、身体に負担がかかるようでした。家でゆっくり過ごさせることを選び、その後病院には連れて行きませんでした。

 

今夜が山かと毎晩居間で添い寝。(今考えると、添い寝してくれてたのはサラの方でした)

火曜、水曜、木曜…何も食べてなくて、水分もほとんど取れなくて、それでも自分で歩いてトイレにも行き、時々場所を移動。時にチャーのいる2段のケージに戻り、出たくなると2階から飛び降りる!どこからこんな力が出でくるのかと不思議でした。

 

週末には大切な用事でどうしても東京に行かなくてはならず、最後に立ち会えないことを覚悟して出かけました。

用事が終わり、サラの容体を聞きたくて羽田から母にメール。「歩いてるよ」と返事が帰ってきて、驚きと喜びで急いで帰りました。

 

そしてそれから2日。火曜日は母も用事で出かけ、私も仕事なので、気になりながら出かけました。幸い火曜は部活がない日なので、授業が終わると1時間休みをとって、急いで帰りました。

とても暑かったので心配でしたが、生きていてくれました。勝手口のドアの前、網戸から外気が入るところで寝ていました。

もう自分で動く元気はないようでしたが、しっかり深く呼吸していたので、今夜に備え少し仮眠。(正直、私の体力も限界にきていました)

母が帰宅して「サラは?」「生きてるよ」と様子を見に行くと…

 

まだ暖かかったです。またひょっこり立ち上がりそうな顔で動かなくなっていました。

 

最後まで手をかけずに、こちらを気遣ってくれました。

私が帰ってくるまで頑張って生きていてくれました。

サラ、本当にありがとう。

 


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