Dear マロン

おカネさん

2017.08.30

   小学校3年生まで、福山市のアパートに住んでいた。

近くにおカネさんという腰の曲がった小柄なおばあさんが住んでいた。おカネさんが歩くときにはいつも、たくさんの犬がついて歩いていた。

 

   小学生の間に流れる噂によると、
「おカネさんはすごいお金持ちで、一人暮らし。あそこに見える山は全部おカネさんのものなんだって。家には数え切れないほどたくさんの犬がいて、野良犬にも毎日エサをやってるから、住み着いちゃうんだって。」
ということだった。

   家がどこなのか知らなかったし、噂が本当かどうかはわからない。おカネさんという名前さえ、「お金持ちだからおカネさん」くらいの感じで、誰かがつけたあだ名だったのかもしれない。

   私たち子供は、親から「あの人は変人だから近寄らないように」と言われていたように思う。

 

   ある日のこと。アパートの前の道路で1匹の犬が車にひかれた。運悪くタイヤが身体の上を通過したらしく、ほとんどの内臓を口から吐き出しているように見えた。

それでも犬は生きていた。苦しそうに、身体を上下に膨らませながら、息をしていた。
   こんな姿になっても、生きていられることが不思議だった。もう助かるはずはない。それでも必死に息をしていた。

 

   誰かと一緒にいたかどうかも覚えていない。けれど、その場で動けなくなったことを覚えている。

 

   すぐにおカネさんがやってきた。一緒に散歩している途中、少し離れてしまって起きた事故だったらしい。
おカネさんはその犬の足を引きずり、道路の端に連れて行った。つながったままの内臓も、ズルズルとついていった。
   そんな姿になった犬に、取り乱すでもなく、涙を流すでもなく、おカネさんは淡々とその作業を行った。

その後おカネさんがどうやってその子を葬ったのか、覚えてはいない。
   ただ、その子の一部も残さないよう、きれいにその場を片付けて行ったと思う。

子供の頃の記憶の中でも、映像として残る強烈なものである。

 

   その後引っ越したので、おカネさんがいつまで野良犬たちを面倒見ていたのかはわからない。あの当時、すでにかなりの高齢に見えたので、それほど長くは続けられなかったのではないだろうか。
それでも彼女は、自分の身体が動く限り、犬たちの最期を看取り続けたに違いない。生きているものはいずれ死ぬのだと悟り、淡々と生き物と暮らしていっただろう。

今の自分がもし当時の彼女に会えたなら、話をしてみたいな、と思う。

 

 


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