Dear マロン

音楽活動

絵で語る

2017.08.02

   絵では自分の言いたいことは伝えられない、そう思っていました。

 

   だから、言葉を使って他とコミュニケーションをとる方法を重視し、そのうち、言葉に曲をつけて歌う方が相手に伝わりやすいことに気づいて、自主制作でミニアルバムまで作りました。

 

   でも、今回日光東照宮の萌志に出品した作品は、私の想いを充分語ってくれた気がしました。

   使った言葉は、タイトルの『I want to live』だけ。あとは形と色で、言葉よりも的確に相手の心に届いた気がするのです。

 

   絵も言葉も音楽も、私にとって、誰かとコミュニケーションをとる手段です。どの方法を選べば一番多くの人とふれ合えるのか、私の中での順位が変わってきました。

 

   ロンドンでの展覧会に出品しないかとのお誘いがありました。外国の言葉がわからない私でも、絵でなら会話ができるかもしれません。

 

   海外なんて考えたこともなかったけれど、ちょっと考えてみようかと思います。

 

 

 

ギターの日

2017.08.01

   夏休みの間、火曜と水曜はギターと歌の練習の日。母がサロンに出かけるので、遠慮なく雑音を発している。

 

   次のオーディションには、無謀にもギターを持って行こうと計画している。

   緊張すると全く弾けなくなり、イントロを何度弾き直しても先に進まないので演奏を辞めてしまったことさえあるのだけれど^^;

 

   ブランクが15年あり、仕事が忙しい時は何ヶ月もギターに触らない。だけど、11才の時からオモチャにして遊び、できる日には5、6時間弾くこともあるのだから、人前で演奏できるレベルには、達していないとおかしいのだ。

 

   久しぶりに弾いてみると、思ってたよりは弾けるじゃん、と思う。

   しかし、今回練習しようと思ったら、カポもチューナーも行方不明。探すより買った方が早いと、通販で揃えることから始める始末。弦を張り替えたら、買ってから時間が経っていたので、すでに錆びていた~_~;

 

   オーディションでは椅子を使えないので、ストラップも少しオシャレなものを買った。

   立って弾いたことはないので、主にその練習と、メンタルを鍛えることが課題。

 

   一年に2回行われる事務所のオーディション。半年かけて準備して5月に受けた結果は、練習の7割の力も出せず、こんなもんか…という感じだった。

   気がついたらもう8月。すでにお尻に火がついている。契約期間最後のオーディション。50代の私が若い子たちに太刀打ちできるわけはないのだし、もうやめるのだと思えば、緊張せずにのびのびヤレるだろう。

 

   最善を尽くして終わりたい。

 

フェスに行きました!

 

7月3日(日)神石の光信寺で開催されたGreenGreen’16 musicFestivalに日食なつこさんが出演されるというのを前夜に知り、結構大切な予定をキャンセルして行ってきました!

こんな近くに来てもらえるなんて、何をおいても行くしかない!!!

 

朝からあやしい雲行きでしたが、これからなつこさんというときにポツポツ雨が。

なつこさんが野外で演奏すると雨が降る、と何かで読んだことがあるので、来たかな?と思いましたが、演奏が始まったらカンカン照りに!

最後まで夏空の下、心地よくガンガン頭を殴られ、懐かしさに涙して、「聞きなれたメロディー」に体操させられて…

今回もなつこワールドを満喫させてもらいました。

 

生活がきつきつで買えないでいた『逆光で見えない』をここで買ってサインをもらい、一緒に写真まで撮ってもらいました(≧▽≦)

キーボードの弾き語りをする娘のことは覚えてくださっているので、「美緩の母です」というと私のことも一応認識してもらえ、娘の近況を聞いてくださいます。

今回は娘の話だけでなく、思い切って自分のCD『夢を追うのが夢だった』を渡して、「聴きます、聴きます!」って言ってもらえたことがすごくうれしかった。

「My Sunshine」に、歌を歌っていることだけは知ってもらうことができました。

殴られっぱなしではなく、いつか少しくらい殴り返せるようになりたいと、『黒い天球儀』を聴き、自分を奮い立たせます。

 

二階堂和美さんの歌を聴くのも楽しみにしていましたが、途中で土砂降りになったせいか、時間が短くて残念でした。

その後は降ったりやんだり、最後はとんでもない土砂降りの中、みんな裸足で踊りまくり、とても盛り上がって終わりました。

 

 

「気がつくと家族で歌っています」と?! 

うれし恥ずかしい^^;

 

最近CD『夢を追うのが夢だった』を買ってくださった方から、

「トイレの花子さんが頭の中をぐるぐる回ってるんです~!

私だけじゃなくて、気がついたら主人も子どもも歌ってるんですよ!」

といわれました。

 

以前、別の方からも、

「『KURAGE』を家族で口ずさんでます。」

というお話を聞いたことがあります。

 

とてもうれしく照れくさい感じです^^;

こうやって少しずつでも広まってくれるとうれしいです。

 

 

来月7月15日、CD発売から1年がたちます。

その日、ちょうど地元のフォーク喫茶が開催されるので、

歌わせてもらおうと思います。

 

ギターを弾いてくれる人も見つかり、

これまでのカラオケでのライブとは違った歌を聴いてもらえるようになりそうです。

夏休み

2016.05.23

ミニアルバム『夢を追うのが夢だった』

曲について 7

『夏休み』

 

アルバムの中で一番最後に作った曲です。

アンケートの気に入った曲などでは上がってこないのですが、自分では結構お気に入りの、愛着のある曲です。

 

サビのメロディーだけ何年も前からできていて、夏休みをテーマにした、ちょっと懐かしい曲にしたいと思っていました。

曲作りについて少し勉強したとき、それを意識してこの曲を形にしてみようと思い、時間をかけて何度も練り直しながら作りました。

 

イントロ、間奏、出だしのギターのストロークは、自分で考えたものをそのまま使ってもらっています。

 

サビ以外のメロディーは、考えて考えてひねり出した感じでした。

思いついては録音。もう一度録音すると前と違うから、どっちがいいか比べて、いいほうを残して。次に録ってみるとまた違うから、また比べて…という感じ。

 

せみしぐれやMilky Wayのように自然に出てきた曲ではないので、自分で作っておきながら、ちゃんとメロディーを覚えるまでに2週間くらいかかりました。

 

 

歌詞にも時間がかかりました。

まず、夏休みの何をテーマにしたいのかが決まっていなかったので、主人公は何歳くらいのどんな状況の人で、夏休みをどう振り返るのかを決めることからです。

 

最初の窓を開けるシーン。これは娘が住んでいる東京のアパートを想像しながら書きました。そうすると「主人公は20代くらい、独身。都会で、季節が変わったことにも気づけないほど忙しい仕事をしている」という設定ができてきました。

 

「あ、今夏休みだったんだ。」と気づくところから、子どもの頃の夏休みを振り返り、どんなに忙しくても、夏休みを楽しみにしていたときのワクワクする気持ちをなくしてはいけないな、という曲にしよう!と決まりました。

 

夏休みのどんなシーンを振り返るかですが、夏休みをテーマにした曲はたくさんあって、かぶらないように気をつけたつもりです。「セミの抜け殻」飾ってた人なんていなかったかな^^;

夏休みにしか会えなかった「いとこ」たちを歌詞に入れてみたのも、自分ではいい思いつきだったと思っています。

 

少し韻を踏んでみようなんてことも考えましたが、あまりこだわると使いたい言葉が入れられなくなるので、かなり妥協してしまいました。

 

「20代、都会生活」なんて、実感できるの?と思われるかもしれませんが、「一人暮らしで、季節が変わったのもわからないほど忙しい」というのはその時の生活そのものだったので、自分の気持ちそのままでした。

 

一番時間をかけた分、手のかかるわが子がなんとか大人になってくれた、みたいな曲です。

なによりも、その産みの苦しみを味わっていたのは11月から12月。寒い部屋で震えながら、夏の情景を思い浮かべて詞や曲を作っていたことが忘れられません。

 

 

 

 

Milky Way

2016.05.23

ミニアルバム『夢を追うのが夢だった』

曲について 6

『Milky Way』

 

娘が東京に出ることが、高校を卒業するちょうど1年前に決まりました。

それからは、これまでずっと二人で過ごしたイベントが、どれも一緒に過ごす最後の1回になりました。

 

この曲は、そんな最後の七夕の夜にできた曲です。

歌詞のとおり、昼間は土砂降り。今夜は星は見えないだろうとあきらめていました。でも、夜になったらきれいに晴れて、満点の星空が見れました。

 

「子どものころ、あの星に行けると思っとったんよね。」

そんな話はその時初めて聞きましたが、そのまま歌詞に使いました。

 

母ひとり子ひとり。

「よく東京になんか行かせたね」と言われますが、小さい頃からそのつもりで育ててきました。

本人から東京に出たいと言われたとき、

「そう言うと思った。」

と答えながら、望んでたように育ってくれたなぁ、と思っていました。

 

つまらないことに縛られることなく、自分の人生を精一杯生きてくれたらそれでいいと思います。

帰りたくなれば、いつでも帰る場所はありますが、ほとんど連絡もないので、今のところ充実した毎日を送っているのではないでしょうか。

 

ミニアルバム『夢を追うのが夢だった』

曲について 5

『トイレの花子さん』

 

アルバムの中で1番覚えやすく、耳に残る曲ではないかと思います。

中学生、高校生、それからその親の世代の人たちに聴いてもらえたらいいなと思って作って曲です。

 

これは、まんま自分の話ではありません。でも高校時代、人前にいるのがこわくてトイレに逃げ込んだことがありました。その時の体験と、何人かの中学生や高校生から聞いた話を元に歌詞を書きました。

 

「なぜこの子はノックされても返事をしないの?」と人にきかれました。返事をしてしまったら、ドアの外にいる人に出るのを待たれてしまいます。まだ人と顔を合わせられる精神状態ではないから、気配を消して人が去るのを待っているのです。

 

幸い私の近くには、頑張れという大人はいませんでした。だから時々こうして姿を隠して、気持ちの整理をしていました。

クラスでいじめられて、窓から飛び降りたくなると言っていた子に、「たまには学校を休んでゆっくりしだら?」というと、「休むと親に怒られる。」という返事が返ってきました。命をつなぐことができるなら、学校を休むくらいなんてことはないのに。

こうして、まじめな子や親に心配をかけたくないという優しい子ほど、どんどん自分を追いつめていくのです。

 

高校時代のある日、担任の授業をさぼって部室でマンガを読んでいると、授業を終えたその足で担任の先生が来て、「他にどうしようもないからここでマンガ読んでるんだろうけど、自分が壊れないように気をつけなよ。」と言って去っていきました。

授業をさぼった私がどこにいて、どんな精神状態かお見通し。さっぼったことをとがめるわけでもなく、わかっているよとだけ言いに来られたわけです。この先生が担任じゃなかったら、私は高校を卒業していないと思っています。

 

教員免許がほしいと思ったのは、今度は自分がその先生のような役割をしたいと思ったからですが、とてもあんな風にはなれません。歌でその役割ができればと思います。

 

 

 

 

 

 

KURAGE

2016.05.14

ミニアルバム『夢を追うのが夢だった』

曲について 4

『KURAGE』

 

このアルバム、8曲も入っているのに、1曲も恋愛の曲がありません。

今まで作った中には恋愛の曲もあったのですが、うまくいってる時の曲は作ったことがないのです。

恋愛がそれなりにうまくいっている時は100%恋愛に力をそそぐため、曲を作ることも絵を描くことも、全部ストップしてしまうという私の性格からこのようなことになりました。

 

恋愛に100%目を向け、全力で相手にぶつかると、まずうまくはいきません。相手は同じ重みで相手をしてくれるわけもなく、私のすることはありがた迷惑になり空回り。

おまけに目標である制作活動はストップするという最悪な状態になるわけです。

 

短時間でも、恋愛に使う一生分のエネルギーはもう十分使い果たしました。残りの人生は表現活動のために費やしたい。というわけで、今はひとりでいることを選んでいます。

 

8曲の中で、唯一この曲に、私がどんな恋愛をしてきたのかが垣間見えるかと思います。恋愛は苦手です。

 

この曲ができた時期は「My Sunshine」と同じ頃。娘とバンドをやろうと計画していて、バンド用にアレンジなど考えたりしましたが、メンバーがそろわず実現しませんでした。

My Sunshine

2016.05.14

ミニアルバム『夢を追うのが夢だった』

曲について  3

『My Sunshine』

 

娘が中学に入り、希望に満ちあふれた朝、車で学校へ送っていく途中にできた曲です。天気がよく気持ちのいい朝の空を見ていると、かなわない夢にも手が届きそうな気がしました。

 

前に進みたいとあがきながら、進歩のない日々。だけど、毎日見ている同じ風景が少しずつ変化するように、自分の置かれている状況も、わからないくらい少しずつ前進していると思いたい。

 

ここに出てくる「Sunshine」は太陽の光であると同時に、手が届きそうにないあこがれの人でもあります。生きているうちに、私のことを知ってもらうことができるかな。。。

ミニアルバム『夢を追うのが夢だった』

曲について 2

『おまえらがいるから』

 

せみしぐれの次に作った曲です。

 

高校に勤め始め、3年目。校舎のリフレッシュ工事という大変な仕事が入りました。床や壁、天井をきれいにするから、自分の担当する場所の荷物を全部運び出すようにとのこと。

「予算がないから引越し屋さんは頼めません。担当の場所は自分で全部カラにしてください。」と言われました。

 

美術室と美術準備室。ひとりで全部荷物を運び出す?!

しかも授業は普通にある状態で!

準備室には中身がいっぱいの大きな戸棚が4つくらい、仕事用の重たい机、電動ろくろひとつ、手動のろくろがいっぱい、額縁やパネルその他もろもろが山のようにありました。美術室にはでっかい石膏の胸像が10個くらい、生徒用の机椅子30以上。

 

これを、6月8日までにひとりで全部運び出せと。奇しくもその期限の日は私の誕生日でした。

 

ひとりでは絶対無理。天井につかえるような大きな戸棚をどうやって運べというのか。こんな不可能なことを言われるなら、仕事を辞めてしまいたいと思いました。でもそれじゃ生活できないし、生徒たちとも一緒にいられなくなる。無茶でもやるしかありません。

先生たちはみな同じ状態で、自分のことでいっぱいいっぱい。図書室や美術室のように、荷物の多い部屋担当の私たちに、頼れるのは生徒たちだけでした。

 

まだまだやんちゃの多い時代でしたが、生徒たちはよく手伝ってくれました。平日に手の空いている卒業生にまで応援を頼んで手伝いに来てもらいました。

古い木の戸棚は大きくて部屋から出せないので、(どうやって入れたんでしょう?)もう捨てることにして、のこぎりで切って分解して運び出しました。その中から出てきたものも、何に使うのかわからない古い道具ばかり。いつのものかわからない生徒の作品などもたくさん出てきました。

 

美術室は4F。エレベーターは隣の校舎にしかないので、台車で渡り廊下を渡り、エレベーターで下ろしたら、運び込む格技場はエレベーターとは逆側。しかも少し高い場所にあるので、荷物を台車から降ろし、10段以上の階段を持って上がらないといけません。

 

授業のあい間と放課後全部荷物運びに費やして、38歳の誕生日、なんとか全部の荷物を運び終えました。その日の夜は会合が入っていましたが、気分が悪くなって途中で抜けました。

 

そんな頃にできた曲です。

3年目で、それまでのいろんな出来事の中でつながりができていた。だから生徒たちがあれだけ手を貸してくれました。人のありがたさを感じることができたから、あのつらさも無駄じゃなかったと今は思います。

 

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